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佐賀家庭裁判所 昭和35年(家イ)67号 審判

申立人 松田ツヤ(仮名)

相手方 松田定男(仮名)

主文

一、相手方と申立人は離婚する。

二、当事者間に出生せる長男公行(昭和二七年六月○○日生)及び長女喜美子(昭和二九年三月○○日生)の親権者を申立人と定める。

三、相手方は申立人に対し、長男、長女の養育料として昭和三六年三月三一日までに一人当り金一、六七八円宛を、昭和三六年四月以降同年七月までは毎月末日までに一人当り毎月金一、〇〇〇円宛を、昭和三六年八月以降両名がそれぞれ満一八歳に達するまでは毎月末日まで一人当り毎月金二、五〇〇円宛をそれぞれ支払うこと。

四、相手方は申立人に対し、昭和三六年三月三一日までに相手方の占有する申立人所有の桐箪笥一棹、整理箪笥一棹、その他衣類一切を引渡しミシン一台、布団二組、毛布二枚を分与すること。

五、調停費用については当事者はその支出した費用を自ら負担するものとする。

理由

一、申立人は当裁判所の調停期日に出頭しないが、の申立書並に東京家庭裁判所の申立人に対する嘱託調査の結果を綜合すれば、その申の要旨並にそう実情は次の通りである。すなわち

(1)  相手方と申立人とは離婚する。申立人は昭和二六年二月日不詳当時東京都大森区所在大森職業安定所に勤務していた相手方と見合の上結婚したところ、相手方は結婚後一週間も経たない内より麻雀に凝り、給料を費消し家計を顧なかつた。申立人は相手方との間に昭和二七年六月○○日長男公行を、昭和二九年三月○○日長女喜美子を儲けた。昭和三二年初頃相手方の実父が僧侶として迎えられていた僧庵が寺院に昇格し、相手方がその住職として迎えられることとなつたので、申立人は相手方並に長男、長女と共に相手方の本籍地に移転し、相手方は佐賀県職業安定課に勤務する傍ら○○寺の住職となつた。申立人は相手方が住職たる地位に就き心気一転しその生活も改め健全な家庭を築いてくれるものと念願していたが、その後も相手方の生活は改まらず依然として麻雀に耽り、飲酒、外泊等を繰り返し、当時相手方の月俸は金二五、〇〇〇円位であつたが、前示の如く自己の遊興に費消し全然家計を顧ず、相手方の実母よりも相手方の素行が修らないのは申立人の責任であると云われ、その間申立人としても隠忍自重相手方の改心を願つたが改らないので、相手方に対する信頼と愛情を失い相手方と婚姻を継続することができないので、遂に意を決して昭和三五年四月二一日長男、長女を伴い実妹の婚嫁先である海原正男方に寄寓している次第である。

(2)  長男公行(昭和二七年六月○○日生)及び長女喜美子(昭和二九年三月○○日生)の親権者はいづれも申立人と定める。叙上の如く信頼のおけない相手方に長男、長女を委せては長男、長女が不幸になるのは明かであるので、その親権者は申立人が適当である。

(3)  長男及び長女の養育料として一人当り毎月金五、〇〇〇円宛を支払うこと、申立人は相手方と別居後川崎市所在の某会社に賄婦として勤務し、月収一四、〇〇〇円を得て居るに反し、相手方は今般の公務員給与のベースアツプにより月収三五、〇〇〇円位を得ていると思料され、相手方の実父母は老齢とはいえ実父は僧侶の傍華道の師匠をなしその収入により自活しており、相手方は実父母を扶養する必要はないので、長男、長女の養育料として一人当り毎月金五、〇〇〇円宛として、両名がそれぞれ満二〇歳に達するまでその支払を求める。

(4)  相手方は申立人に対し、相手方の占有する申立人所有の桐箪笥、整理箪笥各一棹、布団四組、毛布四枚その他衣類一切及びミシン一台を引渡すこと、以上の各物件は申立人の特有財産で現に相手方が保管中であるので、これ等物件の引渡を求むる

というのである。

二、相手方は調停期日に於いて述べるところは次の通りである。すなわち

(1)  申立人との離婚には同意する。

(2)  長男、長女の親権者については長男、長女とも相手方が親権者になりたいが、若しそれが容れられなければ相手方の実家が寺院であるため、その後継者として長男が必要であるので少なく共長男の親権者は相手方に指定されたい。

(3)  相手方の月収は表面上は月額金三二、七六六円であるが、共済組合掛金、所得税、住民税、親和会費、組合費等の外労働金庫その他に債務があり、それ等が差引かれるため現在の手取額は毎月八、〇〇〇円位であるので現在養育料を支払う能力はないが、昭和三六年七月までには債務の大半を弁済することとなつているので、昭和三六年八月以降は相当額を支払う積りである。

(4)  桐箪笥、整理箪笥り各一棹及び衣類一初は申立人の所有であるのでこれを引渡すが、布団が四組あるかどうかは知らない。又毛布二枚存在することは記憶するもこれは申立人と婚姻中に購入したものであり現在相手方が使用中であるので、申立人の引渡要求には応ぜられない。若しその外に二枚あれば申立人に分与してもよい。ミシン一台も婚姻中に購入したものであるが申立人に分与しても差支ない

というのである。

三、叙上当事者の主張をこれを検討議すれば相異する点は(1)長男公行の親権者の指定の件、(2)長男、長女の養育料の額の件、(3)物件引渡中布団の組数、毛布の枚数の件であり、当事者の離婚という基本的な点について当事者間に異議がなく、申立人が調停期日に出頭しないため調停が成立しない場合であり、当裁判所は当事者双方のため衡平に考慮し一切の事情を観て次の如き理由の下に調停に代わる審判をすることとする。すなわち

(1)  離婚について相手方は申立人の離婚の申出に同意して居りその他本件にあらわれている諸般の事情より考え、婚姻を継続し難い事由があると認め当事者は離婚するのが相互の幸福を招来するものと考える。

(2)  親権者指定について、東京家庭裁判所調査官中川文枝の調査報告書中の記載によれば未成年者両名は佐賀より東京市ケ谷小学校に転校の際と現在とを比較すれば現在の方が精神的に安定して居り、申立人の監護状況も当を得ていることが看取されるに反し、相手方及びその実母松田ミキの審問の結果によれば長男公行の親権者を相手方とすることを主張するのは一途に相手方の寺院の継承者を得るためであり、又相手方としても早晩再婚することも予想されること等より彼此較量すれば未成年者両名の親権者は申立人と指定することが未成年者両名のため幸福と考えられる。

(3)  養育料について、申立人は現在川崎市所在の某会社に賄婦として勤め月収約一四、〇〇〇円あることは申立人の述ぶるところである。佐賀公共職業安定所長長尾三郎作成の相手方の給与に関する証明書中の記載によれば、相手方に対する給与支給総額は月三二、七六六円でそれより共済組合短期掛金とし一、〇〇〇円、長期掛金として一、二九五円、所得税八三〇円、住民税五二〇円、共済組合貸付返済金四、二一一円を差引かれ、現金支給額は二四、九一〇円であることが認められるが、佐賀公共職業安定所経理係長船津元彦作成の証明書中の記載によれば相手方は昭和三六年二月九日現在労働金庫に二一二、〇〇〇円、専門店に二八、五〇〇円、共済組合一八、一〇〇円の債務があり、労働金庫に対しては昭和三六年二月以降昭和三八年六月迄の間毎年六月、一二月を除くその他の月は金六、〇〇〇円宛、毎年六月には各一一、〇〇〇円宛、毎年一二月には各一六、〇〇〇円宛、昭和三八年七月には三、〇〇〇円を、専門店に対し昭和三六年二月に六、五〇〇円、三月に四、九〇〇円、四月に四、七〇〇円五月に三、六〇〇円、六月に三、五〇〇円七月に三、一〇〇円、八月に二、二〇〇円を、共済組合に対し昭和三六年二月乃至四月には毎月四、一〇〇円宛、五月、六月に各二、九〇〇円宛を上記現金支給額二四、九一〇円より差引かれることになつていることが認められる。以上の外相手方の実父母が老齢のため今後に於ける扶養の必要もあろうし、又相手方の再婚も考えられるしその他諸般の事情を考え合せると相手方の申立人に支払うべき養育料の額は昭和三六年七月までは未成年者一人につき毎月金一、〇〇〇宛、昭和三六年八月以降は未成年者一人につき毎月金二、五〇〇円宛を相当と考える。さてその養育料の始期並に終期についてはいろいろ議論のあるところであるが、裁判所としては本件の如く調停に代わる審判に於いてはその実質は調停であると視て調停成立の日と同一視される調停委員に意見を徴し結論を得た最後の調停期日を始期とするを相当と考える。その終期については養育料は未成熟児に支給するものである点より考えれば、成熟と成年とは同一でなく、多くの家族給付が一八歳未者の子を対象としていることより考えればその終期は一八歳に達するまでとするを相当と考える。

されば本件に於いて調停委員に意見を徴し結論を得たのは昭和三六年二月一〇日の調停期日であることは本件記録に徴し明かであるので、昭和三六年二月一〇日を始期とすれば昭和三六年二月分としては一人当り金六七八円(円以下初捨)となること算数上明かである。されば相手方は申立人に対し未成年者両名の養育料として昭和三六年三月末日までに一人当り金一、六七八円を、昭和三六年四月以降七月までは毎月末日までに一人当り毎月金一、〇〇〇円宛を、昭和三六年八月以降未成年者両名がそれぞれ一八歳に達するまでは毎月末日まで一人当り毎月金二、五〇〇円宛を支払わなければならぬこととなる。

(4)  物件の引渡について、相手方の実母松田ミキに対する審問の結果に依れば、申立人等が東京より移転した際持参した物として現在存在する物は桐箪笥、整理箪笥各一棹、その他申立人の衣類一切並に布団四組、毛布四枚、ミシン一台であることが認められる。申立人は叙上の物件全部を自己の特有財産として引渡を求むるが、相手方並にその実母松田ミキの審問の結果を綜合すれば桐箪笥、整理箪笥各一棹並にその中の衣類一切は申立人所有であることは認められるも、布団一組は相手方上京の折実母松田ミキが相手方のため調製したものであり、その他の三組も相当の年数を経、その間洗濯、修理等をなしたと推認せられ現在に於いては夫婦の共有物件化して居ると認めるのが相当と考えられ、又毛布四枚並にミシン一台も当事者が婚姻中に得た共有物件であることが推認される。そうしてミシン一台を分与することは相手方も認めているところであるので、布団並に毛布については相折半するのが衡平の観念に合致すると考える。されば相手方は申立人に対し昭和三六年三月三一日までに桐箪笥、整理箪笥一棹及びその中の申立人所有の衣類一切を引渡し、財産分与としてミシン一台、布団二組、毛布二枚を分与しなければならないことになる。

(5)  調停費用について家事審判法第七条、非訟事件手続法第二六条に則り主文の通り審判する。

(家事審判官 大津浅吉)

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